7/30のコンサートが終わってもう1週間が経ちました。
8/1以降、身内と親友との告別が立て続きあり、まだショックから立ち直れないのですが、ブログを再開します。
今回、ベートーベンのマイナーな編成の歌曲をやって、ベートーベンの作曲の別な面を知ることができました。
私は、ここ何年かベートーベンが分からなくなって、ピアノのソロ曲から遠ざかっています。
spになったりいきなりガンガンとなる、あのベートーベンの語法が好きでなくなったのです。
今回の歌曲にsp、もちろんありました。
でも、曲の流れの中で不自然には感じませんでした。
ベートーベンなどの古典派では、テンポを揺らして歌ってはいけないと言われて育ってきました。
でも、極端なルバートでない範囲で、歌の方は歌っているので、私もそれに呼応して歌って弾きました。
とても、楽しかったです。
ピアノのソロの世界では、ベートーベンはこういう弾き方、ショパンは
...と作曲家らしさを教え込まれます。
でも、どういう根拠があって弾き方が決まるのでしょうか?
ベートーベンは、楽譜通りに弾くことを求められました。
今回の歌に呼応してしまう弾き方は、楽譜通りではないのですが、弾いた後、
歌と一緒にやれたなぁと感じました。
聴き手には、こういう受け応えが伝わるのではないでしょうか。
受けてきたピアノ教育では発見できない色々なことを楽譜から見つけました。
その一つがアルベルティ・バスです。
ベートーベンは、音階と和音からできていて、アルベルティ・バスも和音に聞こえなくてはいけないと言われます。
でも、エオリアンハープに寄せてという曲の和音やアルベルティ・バスは明らかにハープの奏法から得られる音の響きを表そうとしたのだなと思いました。
アルベルティ・バスを全ての音を出してガッチリ弾いてしまうと曲が重くなり停滞してしまうのです。
和音もハープの和音で、アルペジオではないことを考えて、ハープでバランと弾くイメージで弾きました。
こうしたイメージを持って弾くことは、曲の構成を維持する為に必要です。
実際、聴き手に届いたかはわかりませんが...