久しぶりに、いや、ん十年ぶりにカミュのペストを読んでいます。
気分的に、一気に読めず、途絶えてはまた戻りながらです。
"追放”という言葉に反応してしまい、何回も繰り返し読んでは考えています。
小説では、ペストが流行り出してオランという街全体が他の街との往来、手紙などの通信手段が断たれた状態になって、暫くして市民が現状を認めていきます。
ペストの流行が終わるまで変わらぬ状態に恐怖や閉塞感を感じていくのです。
そして、追放されたと認識するわけです。
私は、第2次世界大戦中にゲットーに閉じ込められてしまったユダヤ人の事や、ドイツ軍に占領されてしまったパリの人達の事を思い出しました。
突然、日常が奪われてしまうという事実は、意外によくあることだと思うのです。
長男が中1の秋突然他界した時、彼を通して培ってきた人間関係を全て奪われたと感じました。
彼がいないという事実は、その周りの環境もなくなることだと気が付き、私は彼のいた環境から、追放されたと強く感じたのです。
久しぶりに読んでいる本で、追放という言葉、追放された感が描かれていて、ちょっとホッとしました。
子供の死は、親として一緒に築いてきたものを喪失してしまうので、年老いた両親との別れとは違うんだなぁと改めて思いました。
今は、彼が過ごした場所や言っていた事に気が付く度に、彼の空気というか存在を感じて、見てるんだと思い、嬉しくもあり恥ずかしくもあります。
今日は暖かな日です。
ただし、雨ですが…
気候が荒々しさを増して、地球が内部から動き始めているようです。
大地の怒りなのかもしれませんが、人の心も怒り狂わないことを願います。
人間は、物に囲まれて便利になればなるほど、どうも、生きものであることを忘れロボットの如く生きようとするたいです。
便利になる事は、楽になる事ではないと今更のように思います。